The miracle stories on the Radio
Stories...
みんな、ラジオが好きでこの仕事に就いたの?それとも運命の女神に導かれて?!ラジオpeopleにラジオにまつわるお話を伺います。毎回、楽しみでわくわくしています。さぁ、ラジオに携わる皆さんにご登場いただきま~す!九州・沖縄篇です!
File #1 yaccobabyさん
富島靖子さん DJネーム:yaccobaby(ヤッコベイビー)。沖縄県内でラジオパーソナリティ、テレビ番組のナレーターとして活動中。
FMコザ76.1『yaccobaby My Time』毎週水曜日正午からON AIR *ツイキャスとUSTREAMでも配信しています☆


yaccobabyさんの“ラジオとの出会い”
ラジオのリスナーでしたか?
はい。元々、私の母親がラジオが大好きで、もう家でずっと24時間つけっ放しというくらいで、何をするにもラジオをつけていた母親なんですね、母の影響もあって、ラジオが身近にあって好きになりました。
一番最初にラジオに葉書を送ったのは15歳の時です。県内のラジオ局の「おしゃれにナイトナイト」という番組。その中で、“あなたの好きな男性に告白しちゃいませんか?”というコーナーがあって、そこにイニシャルで葉書を送ったら、私の葉書が読まれて“やばい、読まれた!”と…(笑)。それがリスナーとしてラジオに初めて参加した体験です。
ラジオの業界に入ったきっかけ / ラーメン屋さんで運命の出会い?!
“声を使ってなにか発信するお仕事”に憧れを持っていたんですけど、どうやってラジオ業界に入ったら いいのかわからなくって、別の仕事、接客業をしていたんですね。でも、いつかやりたいなぁという想いはあったんですね。ある時、飲み会の帰り、けっこう飲んだ後に、屋台のラーメン屋さんに入りましてその屋台のおじさんに“私は、実は喋る仕事をしたくって…”と話していたんです。そうしたらたまたまFM那覇の関係者の方が聞いていて「ちょっとお姉ちゃん、さっきからすごい盛り上がっているけど 本当に声を使ったお仕事をしてみたいの?」と声をかけられて名刺を頂いて。でも、FM那覇が開局前だったので“いや、ちょっとあやしい”とか思ってたんですけど思い切って電話して面接を受けて入りました。それが25歳のときです。やっとそこからラジオの世界に入ることができました。
最初から、いきなり番組をもって?
そうなんですよ。スタッフが何人かしかいなくって、自分で取材をして編集をして構成もやって喋って 全部やって…。もう何がなんだかわからない状態で、毎日喋ったり取材をしたりという状態でしたね。
聴く立場から発信する立場になって感じたこと
知ったかぶりとかすると、すごくリスナーの皆さんよくわかっているんだなぁと。最初は何を言ったらいいかわからないから、知ったような感じで“こんな感じかなぁ”と思って喋っていたんですけど、そうするとリスナーの方からご指摘もいただいて。その中で自分も「あ、やっぱりこのままじゃダメなんだ。もうちょっと考えて喋らなきゃ」。“パーソナリティってちょっとこわーい”と思ったんですよ。自 分の発言でこんなにも反応があるんだっていうのをすごく実感したし、逆にとっても嬉しくって。自分 の意見に対してこうやって返してくれる人がいるんだってことがよくわかりました。
心に残っているリスナーはいますか?
「いつもがんばってるねー」という一行だけのメッセージを送ってくれる男性がいたんですね。それが「いつもがんばってるねー」から「あなた、がんばってるねー」となって「あなたがんばってるねー私もがんばる」という風に文字が段々増えていったんです。あれ、文字数が増えてる!って思って。それが、その番組の最終回でその方から「あなたががんばってるから私もがんばることができました。いつもメッセージも読んでくれてありがとうございます」とメッセージを頂きました。その方ちょっと引きこもり気味だったようで…。「なかなか外に出ることができなかったけど、ラジオというツールを 利用してパーソナリティの方や他のリスナーの方と交流するような感覚が味わえました。あなたから元気をもらいました」って。“本当に嬉しいなぁ、私もがんばらなきゃな”って思いました。
やめたいと思ったことは?!
それがなくて(笑)。辛い時はいっぱいあったんですよ。フリーで始めたばっかりの時はずっと泣いてて。番組ディレクターの前とかでも泣いていたと思うんですけど。お金もなくて仕事もなくて恋愛もうまくいってなくて、もうどん底(笑)。でも自分で決めたことだからもう頑張ろうっと思って…。やめたいと思ったことはないです。
泣いてばかり?! 何故そんなに辛かったんでしょう?
がんばりたいのに伴わない感じ?! 私、こんなに一所懸命やる気もあるのに、仕事もうまくいかないし恋愛もうまくいかないし、孤独な感じがすごくあって。でもラジオを通して話をしたい喋りたいという気持ちがあって。一番最初に携わった番組の存在が大きくてその頃の番組リスナーの方の言葉とかメッセージとかを思い出して“やろう!もう一度やろう!”っていう風に思いました。
、

そんなラジオが大好きなyaccobabyさんが一度ラジオを離れた時期があった…
いったんFM那覇を卒業してラジオ以外の別の仕事をやっていたことがあるんです。私、もともと負けず嫌いのところがあるのでそっちの仕事をがんばっちゃってキャリアがどんどん高くなっちゃって…。でも、このままでいいのかなぁと思って。その時はおつきあいしている方にパーソナリティの仕事やラジオの仕事を反対されていたんですね。それで、別の仕事をしたんですけど、でも「やっぱり喋りたい!」と思って。それで、もう一度フリーとして仕事を始めたのが10年前、2005年です。
なぜ、その方は反対されたんでしょうね(笑)
ですよね(笑)やっぱり不安定な仕事っていうのがあったんでしょうね。ちゃんと安定した仕事をしてそれで結婚…というふうに相手は考えていたと思うんです。私も自分の気持ちを押し殺して別の仕事をしてみて、あらためて「いやいや…ラジオやりたい!」と思ってその方に「すみません」ってお断りしました。(yaccobabyさんは別の方と結婚して、二人のお子さんがいらっしゃいます)
マイクの前ではどういうことを想像しているんですか?
今日は番組でこういう風なことを喋ろうとか、こういうネタがあるからこんな感じでしゃべろうとか、一通り考えてます。例えばプライベートで嫌なことがあったとしても、切り替わる感じがあります。”切り替える”と思わなくても”切り替わる”。放送が始まる前にテンションが上がって、”よし今日も頑張ろう!””自分も楽しもう!”と思います。楽しんでいるかどうかは伝わりますよね。すごくラジオは人柄がでますね。だから怖いところもあるけど。ツクっている人はわかっちゃうし、“素の自分のままでいいんだ”、”このままでいいんだな”というふうに最近思うようになりました。
最近のラジオについてどんな風に思ってますか?
ツイキャスとかユーストリームとかで映像も配信するじゃないですか。それに最初はどうなんだろう?と気持ちを持ってて。私は、部屋で「そう思う」とか言いながらひっそり聞いている派だったので(笑)。音声はいいけど映像もつけて…“これ、ラジオっていえるのかな?”と思ったんですね。今もツイキャスとかユーストリームで実際映像を配信しながらしゃべってますけど、最初はいやだなぁと思ってました。「映像出さなきゃだめですか?」と局の方にも言って。ラジオって音声でいろいろ想像するじゃないですか、リスナーの方も想像してそれによってぐっと距離が近くなる感覚があったので。映像だと曲をかけているあいだも見られているっていうのがあって「それって楽しいのかなぁ?」と思ったりしています。音楽が流れている間にリスナーの方もフラッシュバックするじゃないですか。「あぁ、この曲ってあの時の…」そういうことを思いながら聞いたらいいと思うんですけど。例えば、曲の間に私がお水飲んでいたりすると「yaccoさん、水たれてる、水たれてる!」とか(映像を見ている)リスナーに言われたりすると、「あれ?!今いい曲流しているんだけどなぁ」という気持ちになりますね。“音声だけにして”と実は私は思ってます。
10年後、ラジオはどんな風になっていたらいいと思いますか?
10年でこの最近の変化なので、10年後には今考えていることがそのままメッセージでいっちゃうんじゃないかと。それぐらい進化があるんじゃないかな。リスナーの方が考えていることがそのままダイレクトになにかボードみたいなのに出たりとか、リクエストとしてきたりとかするのもいいと思うんですけど…。でも私としては、どきどきしながら、葉書だったりメールだったりで「これ読まれるかなぁ?」と送ったものが採用されてちょっと一人だけウキウキしたりとか、そういうのがラジオかなぁと。ラジオに関してはあまり進化して欲しくないなぁ。アナログなままでやり取りできたらいいなのになぁと思っています(笑)。ラジオを聴いている方が今どう思っているかわからないですけど、私の感じとしては、そんな感じですね。“そのままでいいのに~”という、あまり進化して欲しくないですね。(笑)

yaccobabyさんに続いては、沖縄県那覇市のコミュニティFM”タイフーンfm”で番組制作をしている大城さんにご登場いただきます!yaccoさんの話を隣りでくすくす笑いながら、愛情深く聴いていた大城さんに、ラジオについていろいろ伺ってみました。
File #2 大城しげのぶさん
地域に貢献する人々をつなぐ沖縄県那覇市のラジオ局「タイフーンfm」で番組制作をしています。厚い脂肪と深い体毛が自慢。
タイフーンfm78.0MHz「インタビュープログラム ヒトワク」「お笑いラジオ オリジンアワー」ポッドキャスティングでも配信中。http://www.fmnaha.jp/

大城しげのぶさんに続いては、エフエム那覇(タイフーンfm)の代表を務める平良斗星さんの登場です。これまでのお二人とは異なる経営者としてのご意見、お話を伺ってみました。穏やかなほほ笑みを浮かべる平良さんですが、お話を伺っているうちにラジオに対する”考えの厚み”みたいなものを感じ、う~んと唸らされることしばしばでした。では…、
いってみましょう、どうぞ!
File #3
平良斗星(たいら・とせい)さん
1969年、沖縄県那覇市首里出身。コミュニティFM、エフエム那覇(タイフーンfm)の代表を務める。また、地域コミュニティサイト「まちのたね」の運営も行っている。最近のテーマは、地域円卓会議という「地域での話し合い」手法確立、地域アーカイブ。趣味は街歩きと海水浴とバーベキュー。その他「NPO法人沖縄イベント情報ネットワーク」監事、「NPO法人首里まちづくり研究会」副理事。

FM那覇は、どういう経緯で始まったんですか?
僕は二代目で引き継いだんです。それも単純に家族の都合です。おじが発起人だったので、僕はセールスで入っていて。「ポッドキャストとかも含めて、ITとかやっていかないと厳しくないですか?」と言ったら、「じゃあ、お前社長やれ」という話になって。何千万円の負債とともに、僕が引き継いだという赤裸々な話でして。僕で10年やっています。
ラジオの営業について教えて下さい。CMの営業をされているんですか?
ラジオの番組自体にCMを付けるというのはもうないと思います。長年そう思っています。
それはなぜでしょう?
もう、ラジオ自体、電波媒体としてマネタイズできるっていう自信がないんです。そう思えない。単純にそういうことだと思います。それが証拠っていうのでもないですが、95年以降どこも営業成績をのばしたラジオ局ってないはずなんですよ。ラジオ沖縄は奇跡的にここ5年ちょっといいんですが、あれは前が悪かったから。業界全体としては、20年以上ずっと下がっていると思いますね。それでも、「フォーマットとしてのラジオ」はまだチャンスがあると思っています。音声コンテンツで、スタジオに数人がいて、言ってみれば、おしゃべりというものをちゃんとしたコンテンツに変える能力というのがラジオの目指すところだとすると、そのフォーマットというのはまだ有効だと思います。「ラジオを家庭に置いて、それを聴く“あるターゲット層”がいますよ」「だから20秒のCMを打ちませんか?1本いくらです」というモデルがないと言っているだけです。単純にコンテンツの作り方としてのラジオはまだまだいける、というかむしろ、今はチャンスがあるかなという気がしています。スマホなのかパソコンなのか…もうスマホだと思いますけど、このフォーマットのまま、プラットフォームが移動していくのではないかなと。そこは確信しているというか、radikoも含めてもうそっちにうつしているんだなと思います。ただ、その中でも20秒CMが本当にマネタイズなのか、というのはまだわかりません。プラットフォームが移ってマネタイズも一緒、というのは考えにくいのではないかなと思いますね。だから、ラジオのコンテンツの気楽さ、コミュニケーションの濃密さ、情報量の多さ、というのはどれをとっても僕はまだ可能性があるフォーマットだと思っていますね。なので、チャンスはまだあるかなという気はします。
一体、どうやって経営されているのですか?(笑)
スタッフもボランティアではないし、“番組枠”を買ってくれている人もいますね。CMというより、自分で枠を買ってくれる人がいます。最近、そちらの販売はしています。
その枠では、CMは流れているのですか?
CMはやりません。CMは関係なく、その人が自分の番組枠を自分でお金を出して運営します。
一応、番組タイトルなどに名前は入っているのですか?
はい。
匿名ではなくて?
はい。自分のためにやっているという方は結構いらっしゃいます。
個人、企業ともにいらっしゃいますか?
はい。個人といっても、ちょっとした事業をやっているとか。自分の特技や事業に近いところで番組をやるというのは多いのではないかなと思います。それをラジオのフォーマットで提供するためのお手伝いをしているというのが僕らの事業です。ちょっとずつ、その領域は増えていますね。
最近、久々にアプリを作りました。僕のフィールドはITなんですが、最近は司会業のほうが多くてですね。司会業ばっかりやっています。この3月は8本。パネルディスカッションとかややこしいやつの司会をやっていて。僕はラジオでそんなにしゃべってないんですが。
そんな中で、ラジオフォーマットの可能性としてアプリを作りまして。これは政治家なんですが、中村さんという政治家がいて、番組をやっているんですよ。これを聴いたらわかりますよ。(と、サイトをクリック)ほらいきなりラジオです。これはポッドキャストで、過去の番組も全部聴けます。この政治家がやっている活動を、ラジオというフォーマットを通して表現して、自分のアプリとして世の中に出せるというものです。これの中で僕もしゃべっているんですが、彼と一緒に対話をしています。このラジオは20分番組です。ファン、政治家で言うと支持者ですが、例えば、FC琉球もやろうとしているんですが、彼らからするとサポーター。そのような、明確にこれをダウンロードしてまで聴きたい、という人たちに届けるためのメディアっていうのを作ってみたんです。これ、結構受注しているんです。
※『中村圭介対話の時間』(タイフーンfm)
そうなんですか。
これはいいですよ。いいと思います。で、本人たちは、facebookやブログをやっていたりします。だから、このアプリの中でブログも読めるようにしています。これはTI-DAブログという普通のブログサービスなんですが、TI-DAブログの会長にも了解を取りまして、このアプリの中で、TI-DAブログが読めます。そうすると、政治家は、自分の文字での情報もマージできて、自分の番組も持っていて、お知らせは自分で更新しているわけです。ラジオを聴きながらブログも読めたり。立体感があるアプリができるといいなあと。今日も試し録りしたんですけど、まあ何本か受注していて。これは、”ラジオのフォーマットの力”なんですよね。本人の肉声を簡単に作るということで。AMラジオやFMラジオを買って聴くというものがこちらにかわり、さらに他のメディアとも融合して、という形のアプリを開発しています。だから僕はラジオを信じているんですよ。ただし、受け取り方をちょっと変えるということをちゃんとやっています。これは、政治家だけでなく美術家もやりたいと言っています。いわゆるコンテンツを持っていて、適度にファンがいる方々に向けたフォーマットで、なんとこれ月3万円なんです。
え!安いです!
ラジオ制作費、月2本で3万円。アプリの維持費も込みです。
それはお得すぎるのではないでしょうか。
そうなんです、結構安い。これで政治家も安心します。ある程度は経費で落とせますが、落とせなくてもある程度はやれるんです。これはまあまあヒットしそうだなと。
これは、エフエム那覇さんとは別の企画ですか?
一応私の企画なので、事実上私がコントロールしていますが、別にこれはFM沖縄だろうがRBCだろうが、ポッドキャストをやっていれば、引っ張ってくる先を変えるだけなので、どのラジオ局でも対応できます。先々週もFMよみたんの人にプレゼンしました。彼らもこれをやりたいと言っています。なので、ラジオという”番組やコンテンツを作るフォーマット”をどうやって生かしていくかというのが僕のひとつのテーマです。
広報誌のような、例えばフリーペーパーってよくありますよね。あれを見ていてもったいないなぁ、音のほうがよっぽど伝わるなあと思うことがあります。
音のほうが伝わるケースも多いですよね。実はね。政治家も肉声のほうがいい人、肉声でしゃべらない人、どちらもいると思います。声がいい人、映像がいい人、写真とテキストがいい人、いろいろに分かれると思いますが、例えば、相手が、支持者とかサポーターの場合は、僕は肉声のほうがいいなあと思っています。あと、イベントがいい人もいますよね。それは、メディアの使い方だと思っているんです。僕としては、この中でラジオが向いている人を集めて、ラジオのある種の“フォーマット力”を使いたいと考えています。ここで言うフォーマットは、落語とかと一緒で、落語ってフォーマットがあるじゃないですか。座って、枕のお話をして、ネタがあって、最後こういうふうに終わって、という形があります。そして、扇子と羽織が小道具としてあります。あれもフォーマットだと思うんです。たぶん今後、弟子に入っていない落語家みたいな人も、あのフォーマットを利用することで世に出ることができます。ああ、落語っていうフォーマットなんだなっていうことがわかりやすいんです。ラジオもそうなっていくと思っています。電波の権利を持っていない人たちがこのフォーマットでということになっていくわけです。だけど僕たちはプロなんでそこはプライドがあって。おしゃべりをコンテンツに変える能力に長けていると自分も信じているんです。なので、宅録でポッドキャストやっていますという人たちとはやっぱり違いを見せなくちゃいけないんです。このフォーマットで自分たちは育っているわけだから、このフォーマットでは絶対面白く聴かせないといけないというところがたぶん力の見せどころになります。
もう免許の時代はそろそろ終わると思います。もちろんまだありますよ。まだやっぱり免許は大事ですけれど。だから僕はそのラジオのフォーマット力に期待をしているのでやっているんです。
編成はどのようにされていますか?
うちは、今やっているオリジンアワーはあらかた時間が決まっていますが、他の時間は、わりとインタビューがメインなので、来たら収録する、ということで、だいたい水木金に固めてそこにゲスト入れして、来たらしゃべる、という形です。だから何分という尺もないんです、だいたい15分。だけど、15分40秒のときもあるし、盛り上がらなければ10分で終わることもあります。場つなぎもしない、という形でやって、それをアーカイブしていくことが基本的な目標なんです。尺の概念を誰が決めたかと言うと、それは放送局の事情でしかないと思うんですよね。なので、15分を40秒オーバーしたとしても、一つしっかりしゃべりたいことがしゃべれたらそれでいいじゃないかと。そっちに合わせましょうというのがうちの考え方なので、編成はそうやってやっています。だからだいたい1時45分スタートですというんですが、ちゃんと打ち合わせをして盛り上がって、これを話そうと決まるまでは放送も始めません。
へえ、その間はつないでいるのですか?
曲が流れていればいいんです。
新しいですね。
そうですね。みんなそれぞれ、番組の最初は発明の連続だったと思うんですよ。ただ、だんだん放送局の事情になってきて、それが当たり前のフォーマットになっただけで、それを一回疑ったほうがいいと思っている、ただそれだけです。
すごいです!平良さん。私がお世話になっている、日テレの一期生だった85歳の方が「今、当たり前だと思っていることは当たり前じゃない、誰かが作っただけなんだよ。疑ったほうがいいぞ」と言っていて、今、同じことをおっしゃいましたね。
そうなんですよ、誰かが発明したんですよね。ただ、一貫して、おしゃべりをコンテンツにかえるという能力だけが我々ラジオマンのよりどころなので、そこを信じてやるしかないんじゃないかと思います。プラットフォームが移った時のマネタイズを僕ら本気でそろそろもう考えないといけないし。今、ポッドキャスト自体は数百万ダウンロードになってきていて決してマイナーなメディアではないんですが、ポッドキャストだけCMが入っていないんです。20秒CMを入れること自体がマネタイズではないと思うんですが、そろそろ彼らも真剣にやったほうがいいと思っています。もうマイナーじゃないですよ。1本あたりのダウンロード数は数十万ですよ、メジャー局はね。僕らでも、このオリジンアワーって、帯なので月に21本くらいで、1本が3000ダウンロード、場合によっては4000から5000あるから、全部足すと月で10万くらいのダウンロード数になります。だからそこのマネタイズはちょっと真剣に考えるべきだと。どうやったら一番うまくいくのか、どうやったらスマホの機能と組み合わせてお金にかわるのかということを今年は真剣に考える時期かなと思っています。これは全国的にそうなるんじゃないかという気がします。
ただそのときに宅録の人やインディーズの人に負けないようにするためには、しつこく言いますけれど、おしゃべりをコンテンツにしないといけないんです。ただのおしゃべりはコンテンツじゃないんですよ。よくみなさんおしゃべりとコンテンツを混ぜて、俺たちお話面白いからラジオにしたら面白いんじゃないか、と言うけれど、そうじゃないんですよ。ラジオというフォーマットの中で面白く作るというのはまた別の能力です。だからそこに向けて真剣に作るべきだし、だけどマネタイズも同時に真剣に考える時期にそろそろ来ているかなと思います。これが端末になるのであればチャンスはありますよね。今、4~5000万契約があるはずだから。チャンスは来ているかもしれないですね。
平良さんご自身は、ラジオを聴いていたのですか?
あまりまわりには言っていませんが、僕は多分ヘビーリスナーです。本当のラジオ好きで、でも経営するとしたら、オールナイトニッポンを作りたいかと言うとそういうことではないのですが。僕は中島みゆきやTHE ALFEEやビートたけしの世代です。いつのオールナイトニッポンかによってだいたい世代がわかりますよね。
そうですね(笑)
それから、88年から2002年くらいまで東京にいたんです。J-WAVEがちょうど試験放送を始めた年にあっちに行って、こっちで聴いていたものが聴けなくなることの寂しさが一蹴されたというか、東京すげーな、というところがありまして。例えば今はやっていないけどモーリー・ロバートソンさんとか、ジェームス天願さんとか。あのへんは沖縄ゆかりですよね、カビラさんもそうだし。カビラさんは首里ね。そういう人たちのラジオを超聴いていました。僕らの世代は、オールナイトニッポンの二部は沖縄で聴けなかったんです。RKBとか、必死で福岡の電波を受信して朝まで聴いて、学校では寝ているという生活を中学くらいから送っているので、やっぱり僕はものすごく聴いていましたね。FMもAMも。音楽はSound Streetとクロスオーバーイレブンで習ったという。経営はドライに話さないといけないけど、ラジオ自体はものすごく好きです。
キャロル久末さんとか?
ああそうですね、聴いていましたよ、朝9時からでしたよね。7時からジョン・カビラ、ジェームス天願と。すごく聴いていました。夜のACROSS THE VIEWとか。今はしゃべっていませんが、平尾美保さんがすごく好きで毎日聴いていました。
話が前後しますが、平良さんのおじさんがFM那覇の発起人だったというのはどのような経緯があったのでしょうか?
単純に、国際通りの町おこしの中で”コミュニティFMっていう手法がある”という話に踊らされただけで、そんなに深い理由はないと思います。
では、最初はこちらのコミュニティFMは町おこし的な意味合いがあったのでしょうか?
多分そうやって始まったんだと思います、国際通りのね。
それから、平良さんになってからどのような変化があったのでしょうか?
国際通り自体は、当時は観光事業の町ですよね。今でもそうです。でも、当時は観光客が聴くラジオのほうが本当はよかったんだと思います。今となっては、観光の人も地元の人も聴くという編成ができます。当時は、観光客ターゲットと地元向けのコンテンツとでは、取材や表現の仕方も違っていた時代だっと思います。今は近くなってきているんです。今ならできるかもしれません。当時は、観光に完全にフォーカスしていたので、あまり居場所がなかったんですが、今はあります。今は観光客が行くお店と地元のお店のシンクロ度が高くなっています。逆に言うと、観光客専用のお店は経営が苦しいんです。今はやっぱり混ざっていますよね。例えばイオンも両方がターゲットです。交流も生まれたりするので僕もそこは健全だと思います。だとすると、今なら、観光客向けと地元向けがシンクロしたラジオ局はありかなと思いますね。当時はなかったんです。10年前は少なくともなかったので、ちょっとそのストレスがあったので首里に越してきたんです。
イベントは、開催していますか?
イベントは自分が得意じゃないんです。イベントをメインとしたラジオ局がけっこうあるのは知っていますが、まだ適度なフォーマットを得てはいないと思っています。僕自身が司会するというのはすごく多いです。イベント自体への参加度は増えていますが、ラジオとの組み合わせは正直これからかなと思っています。ラジオのお客さんをこっちに呼んでという公開収録はたびたびやっています。結構来ますね、20人~30人とか。お金を取るんですよ。入り口で1000円とか。
先ほど、インタビューしてそれをアーカイブしてとおっしゃっていましたが、実はそれ有益なコンテンツですよね。何かに発展させていますか?
何もしていないです。ただ、常時ウェブで聴けるようにはなっているので、基本的に僕はこのアーカイブはいつか力を持つと思っています。もう10年以上やっているので、亡くなっている人もたくさんいるし、そういう意味ではアーカイブだと思います。僕、アーカイブ自体が好きで、写真を集めるNPOもやっています。今は、自治体の人と一緒になって、自治体の倉庫に眠っている写真を引っ張ってきて新作としてイベントをしたりしています。お年寄りの話を聴くっていう事業をやっているんです。地元のお年寄りを座らせて、スライドを見ながらその地区の区長さんや自治会長さんの話を聴くという。去年七回やりました。あれはラジオとしても面白いですね、本当に盛り上がるんです。古民家でやるんですが、どこも立ち見、大入りです。
どんな方が見にいらっしゃるんですか?年齢層は?
地元の人です。年齢層は超高いです。平均70歳くらいです。だって、地域の写真しかないんですから。昔を懐かしみながら写真を見るんです。出てる人も知っている人だし、お客さんもみんな知り合い。全員知り合いの中で、かつてをあらためて振り返ったことは誰もないんですよね。なので振り返りながらお話を聴くだけでも、表現できない盛り上がりがあるんです。ゴーっていう盛り上がりです。みんなが勝手にしゃべりだしてしまうんです。制止するのが大変なくらい。話が終わらないんですよ。
すごいですね。
あのね、僕からするとしょうもない記念写真が出てくるんですよ、なんとかの卒業記念とか。するともう大変なんですよね。全員の名前をみんなが言えるまで帰れないんです。
あの人はどうしているかな、みたいな話でしょうか(笑)
あの人はなんとか屋のなんとかおじいで、あの人は、その隣りのあそこにたしか嫁に行ったなんとか姉さん。ひとりひとり当てるまで終わらないんです。
すごい(笑)
ただそれだけなんですよ。だから何があるっていうわけでもないんですけど、ただみんなが写真を見てあれがああだという確認をするだけです。おかげさまで好評で。
これは有料ですか?無料ですか?
無料です。自治体がお金を出すんです。僕らは写真の発掘、データベース化、当日のスライド作り、当日の運営仕切り、僕がプロジェクタやって、マイクのミキシングもやって25万円くらいです。ちょっと合わないんですよ、正直。なぜかっていうと、さらにうちのスタッフが、同一アングルの写真を全部撮るんです。だからリサーチにも行っているわけです。だから合わないんです。
そうなんですね。
だから、スライドは、昔の写真・今の写真・その比較、昔の写真・今の写真・その比較、これの3点セットで、シンプルなフォーマットです。僕はフォーマットが好きなので、フォーマット化して、シンプルにしてみんなに見せて、あとは、あーでもないこーでもない、あの人はどうだったっていう話をするだけです。だから、たぶん区長さんが変わったら、同じ写真でもまったく違うコンテンツになるんです。
被災地でもやってみたらよさそうですね。
全くその通りです。僕も、土曜日に宮城の人に会って、先週岩手の人に会って。このフォーマットを持って行きたいというのはずっとあるんですよ、なので今はちょっと画策しています。一番良いフォーマットはどうなのかというのは手探りで。まぁイベントはもう7回やったので、10回くらい実現したら、ちゃんとこの形がいいなあというのを見定めたいと思っています。

お母さんが、ウッチャンナンチャンを聴きなさいとおっしゃったんですか?
聴きなさいというより「ここの部分は面白いよ」みたいな話をしてくれて。ラジオが面白かったのは、よく言われると思うんですが、多方面に向けた情報の発信ではなく一人に向けたというか、まあ自分に向けた話になるんですよ。深夜ラジオのときも、最初のトークで、「こういうことをした」とか「こういうところにいってこんなことをした」とか。もっと話が上手な人だと「こんなことを考えている」という視点の提供をしてくれるわけです。それを隣でふんふんと聴いているイメージなんですよね。それがテレビやその他のメディアにはないものだったので、ずっと聴いているという感じですね。いまだにコーナーがバラエティに富んでいるというよりは、話が上手いというか面白い人がずっと好きです。
大城さんは、テレビとラジオの違いをどんなところに感じていますか?
テレビの場合は、基本的には何人かが集まってその中で対話をするんですよね。ラジオも複数で話しますが最終的には一人の考えになります。たぶんテレビでもできると思うけど、テレビは映像も必要なので、画で見せることもしないといけないし、あとは規模が大きいので地味なことよりもインパクトのあることをしないといけないんです。テレビでもできるけど、ラジオがより特化できたから面白いという感じでしょうか。テレビでもできると思うけど、テレビであまり一人しゃべりを長くさせてくれるところはないと思います。
傾倒した伊集院さんの番組はどんな構成だったんですか?
あの人ねえ、基本的にはなんだろうな、内向的なんですよ。例えば、自分のマイナスな部分を笑うことができる。それを笑いに変えるということができる。あまりテレビでは見かけないパターンだったんです。コンプレックスを僕も自分なりにいろいろ持っていますけど、それを抱えているときに逆に発信して、笑いとして、エンターテイメントとして昇華させるというのが面白かったので僕はひかれましたね。
ラジオっ子でしたか?
僕はラジオ好きです。一番最初は母親からですね。小学校5年生か6年生の頃に、オールナイトニッポンのウッチャンナンチャンがやっているやつが面白いから聴きなさいと言われて聴かせてもらったんです。これは面白いと思ってちょこちょこと聴かせてもらっていたという感じです。その後中学生くらいになって自分で聴くようになったけど基本的には深夜ラジオでしたね。
例えばどういうのを聴いていましたか?
ウッチャンナンチャン、ナインティナインとか。とんねるずも聴いていたけどちょっと難しかったですね。一番傾倒したのは伊集院光さんですね。病的に聴いていました。毎日2~3回聴くという。友達が少ないのが幸いして毎日聴いて話のパターンも覚えるんですよ。そういう感じでしたね。僕は基本的にはずっと聴く側ですね。
作る側に入ったきっかけは?
仕事をしないでフラフラしていたところ、局の立ち上げがありますと。パソコンも得意だったし、局の音源の管理をするってことで。2001年とか2002年くらいかな。もちろん好きな人は知っていますが、CDをデータ化してハードディスクにストックするというのは人によってはよくわからないことだったので、じゃあやりますと手伝って。開局や立ち上げの時はドタバタするのでそのどさくさに紛れ込んで今までいるという感じです。僕は面接も何も受けずに、「あの子、なんかいるよね」っていう。(笑)
僕は偶然転がり込んで来たので。あとは番組いっぱいあったので。今もそうですが、オリジンという沖縄県内の芸能プロダクションがあって、そこの芸人が出る番組を担当させてもらって。制作とかディレクターみたいな経験はないんですが、自分が聴いてきた感じで「こういうふうに出せば面白い」というのはわかっていたので、見よう見まねでやりました。

番組を作るようになってリスナーの存在をどのように感じていますか?かつての自分のようなリスナーが聴いていることもあるかと思いますが。
どうかな、いろんな人が聴いているので、例えば自分に近い人ばかりではないですよね。むしろ明るくて社交的な人もたくさん聴いています。そういう人たちは積極的にアクセスしてくれるので、メール送ってくれたり差し入れを番組に持ってきてくれたりします。番組のオフ会を企画してみたりということもあります。僕は、好きな番組があってこんなに影響を受けてもハガキを書いて送ろうなど参加しようとは思わないんです。ただこの番組に寄り添って聴いていたいだけなんです。だから、リアクションしてくれる人だけでなく、絶対、声を上げない、ただじっと聴いているという人がいるというのは、ばくぜんと想定しています。もちろんたくさんの人に聴いてもらわなくちゃいけない仕事だし、そのために努力しなくてはいけない仕事ではあるけど、根本的には一人いれば充分成り立っているイメージなんです。たまに、パーソナリティの人とかが作る立場でがっかりするのは、聴いている人があまりいなくて悲しいと。努力はしないといけないけど、自分の考えを日々見つめて、それをきちっと組み立てたものを発信して、一人にでも届けば十分成立しているんじゃないかと思うんですけどね。作る側がそんなことを言ってはいけないんですが。
なので、ラジオというメディアでなくても別にいいと思っているんです。テレビでそういうことをやってくれるならテレビでいいですし。僕は、ツイキャスとかユーストリームとかなんでもいいですね。ただ、映像じゃないところで想像できる面白さもあるので、僕はそういう媒体であってもあまり画のことは考えないですね。なにかを昇華するときに想像させるのが話芸というかイリュージョン的な楽しみがあるので。深夜ラジオを聴いていたときにラジオ的な笑いですごいなと感心したのは、出てきた人がチッと舌うちしたらチュウされたと言うんです。本当に怒っていたわけではなくて盛り上がってチッてやったら「キスすんな」って言っていて、ゲラゲラ笑った覚えがあります。あぁ、こういう想像させる面白さは頭がいいなと思いました。
例えば、美人の話をするとしますよね。映像よりも、絶対ラジオに出てくる美人の方が、聴いている人にとって美人だと思うんです。イケメンでもいいですが。そういう面白さを考えながらやるのが面白いです。そういう意味でラジオ的な発信の仕方は面白いですね。僕は媒体は変わっても何でもいいです。ツイキャスでもニコニコ動画の生放送でもいいです。

音楽はどうですか?
音楽も好きですね。ラジオはいろんな音楽を好きな人が
来るので、そういう人が紹介してくれる時に幅が広がる
のが楽しいと思います。
好きな曲とか、この曲は知ってよかったという
曲はありますか?
そういう意味では、ここに来て、20代前半に聞いていた
のは、親の影響でわりと50年代60年代くらいの洋楽とか。あとは普通にニューミュージックとかが好きでしたが、70年代や80年代くらいのロックやポップスを聞くようになったので、そのへんの曲をいろいろ知ることができたのはよかったと思います。ドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」という曲があって。曲も構成もしっかりしているし、で、録音がよく録れてて面白いよ、みたいなことをいろいろ好きな人が説明してくれるのを聴いていて、あぁなるほどと興味持って聴いてみたらこれはかっこいいと。そういう楽しみが広がるのはひとついいなと思います。なので「ナイトフライ」を聴くと、僕は当時のラジオの仕事、ちょうど10年前くらいを思い出します。
仕事は始めてどれくらいになりますか?こちらの開局(タイフーンfm)と同じなんですか?
そうですね、2002年からなので、13年くらいですね。
やめようと思ったことはありますか?
続けられるうちは続けたいと思っていますね。会社のバタバタで開局一年目にしてスタッフをいきなり切るはめになってしまいました。全員、他の仕事探したりしていました。僕は、たまたまそのときに社員ではなくバイトだったので残ったんです。入れたのもラッキーでしたし、本来もっときちんとした志を持ってきた人たちがやめなければいけない時も、僕は、偶然やめないですみました。なので続けられるうちは続けたいと思います。会社もよく今まで倒産していないなと。電波の免許があるうちは(放送を)出したいと思います。
大城さんは、文系と理系どちらですか?
理系です。進路の選択の時に「文系か理系か決めなさい」と言われました。どっちでもいいんだけど「では理系で」と。何か思想を持って取り組んでいたわけではありません。
お話の組み立て方が理系っぽいなと感じました。ドナルド・フェイゲンの構成が、というところも理系っぽいです。
僕もそんなふうに音楽を聴いたことがなかったんです。どう録音にこだわって録っているとか、例えば、ライブするときの演奏の仕方やスタジオで録るときの演奏の仕方が違うという話を音楽が好きな人がしていて、そういう考え方で音楽を聴いていなかったので、新しい視点の発見のようなものがありました。きっとテレビなど他のメディアでも多いと思いますがラジオでも結構そういうことが多いんですね。新しい視点を提供してくれるみたいな。
理系は、何を専攻されていたのですか?
僕は大学に行っていないので、ごろごろしていました。高校では部活はせずに、家でラジオを聴いていました。中学生くらいから、進路とか聞かれるたびに、そんなこと考える人いないよとずっと思っていました。でも、中学高校になるにつれてみんな考えるようになるんです。僕は全然考えていなくて。20歳になっても全然考えていなくて。コンピューターとかは好きだったので、ちょっとしたアルバイトはやっていましたが。だから皆さんすごいなと思っていました。で、たまたまここに転がり込んできたので今やっているのですが、なのでやめようとは思っていません。そもそもあまりつらくないんです。ごろごろしてる僕のところに好きなものが転がり込んできたんですから。そりゃあもう2日3日寝ない作業があっても平気なんですよ。そういう感じです。
コンピューターがお好きだったということで、IT世代ともいえますよね。インターネットやパソコンに詳しい世代って、あまりラジオは聴かないといいます。大城さんは、ウッチャンナンチャンに始まり、ラジオとの出会いがあったからIT系には行かなかったのでしょうか?
そうですね。あとは、僕は広い意味でお笑い、つまり楽しいものを作り出せるものが好きだったんです。I僕の場合はゲームが好きだったので、ゲームもそうだしラジオもそう、エンタメというのは結構楽しい面白いことを作り出せるじゃないですか。そういうものならなんでもいいのかもしれませんね。なので、僕の場合は媒体変わっても平気です。10年くらい前にポッドキャスティングというのが出始めたので、パパっとそちらに切り替えて、基本的にはポッドキャストで聞くほうがラジオより多くなりました。例えばひとつ、その変化できっと困るなと思うのは、深夜放送は深夜にやっているノリとして発信しているということです。今はお昼の番組をされていると思うんですけど、お昼に聞いている人に寄り添いたいような話を発信していますよね。聞く時間帯は別でも、こちらはそういうふうに受け取っています。時間までなくなってしまうと、少し発信しづらくなるのではないかと。ラジオは、きちんと決まった時間帯に発信するというのが、オンデマンドの登場でだんだん減っています。その時に発信する側がどう意識していくかというのは考えます。守るのか、こちらが変えていくものなのかと。なので、先ほどインタビューの番組についても、インタビューがメインなので、今日は暑いですねみたいのもいっさいなく、”来週からいよいよ”ではなく日付で案内するとか、すぐに情報に入るとかという割り切り方をしました。
ポッドキャストは、どういうものを聴いていますか?
伊集院光も聴いています。いくつかいろいろ浮気してみたんですが、僕は基本的にはAMが好きで、その中でもTBSラジオが合うようです。今はジェーン・スーさんというコラムニストがいるんですが、この人がまぁ面白くて。ラジオから出てきた人の中で、たぶん10年に一度くらいの逸材だと思っています。女性です。ポッドキャストやラジオをやっています。この人も視点の切り取り方が面白いので楽しいです。というわけで、僕は基本聴く側です。
10年後、こうなっていたらいいなと思うことはありますか?
10年後ですか。基本的には面白い人ってラジオから発掘されているような気がしていて、その中から昔ならテレビに行ったり、映画を製作したり何かを作り出したり。そういう人が10年後も生まれる場所であってほしいと思います。
