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糸数美樹さんinterview ①

何も知らずに飛び込んだ世界ミキトニーは
金曜日の女から始まった

糸数さんは、ミキトニーさん?糸数さん?どちらで呼ばれるんですか?

糸数: 幸三さんは「糸数さん」と呼びますね。リスナーさんは「ミキトニー」とか、まれに「ミキティー」って言われたり(笑)まぁまぁどっちでもいいや!私の存在を知っていてくれれば、みたいな(笑)

 

ご自身がリスナーのときはラジオを聞いていました?

糸数: ほぼ聞いていないです。だから正直、ラジオに憧れはなかったんですよ。最初、私はテレビ志望で、テレビ局のアナウンサーになりたくて。“伝える仕事”=“アナウンサー”しかないと思っていたんですよ。それで、大学生のときに、アナウンサーを目指そうと思って。でも、その前にアメリカ留学が決まっていたので、アメリカから帰ってきて、それから東京のアナウンススクールに通いながら、全国各地のテレビ局を受けるという日々が半年続いて。その中に、FM沖縄のパーソナリティ募集があって、最初は「ラジオかー、うーん…。でも沖縄に帰れるし、(自身の)経験として欲しいなぁ。受けてみようかなぁ。」ぐらいの軽い気持ちで。しかも局アナじゃないし、パーソナリティだし、っていう感じで受けたのが始まりでしたね。最初、西向さんと面接をしたあとに、スタジオでマイクテストがあったんですよ。そのマイクテストっていうのが、いまFM沖縄の夜の番組「Radio dub」でパーソナリティをやっている、お笑い芸人のまーちゃんさんと掛け合いをする、メールが来たていで、やり取りをするっていうのをやったときに、あ!面白い!何だこれ!超楽しい!っていう印象があって、これがダメでも、ラジオも視野にいれてみようって思い、那覇空港から帰りの飛行機に乗ろうとしたら、西向さんから電話があって「もし良かったら一緒にやりませんか?」って電話があったんですよ。それが私のラジオの始まりですね。

 

じゃあ、そこから少しはラジオを聞くようになったりするんですか?

糸数: 私、沖縄市出身なんですけど、それこそ高校生のときは沖縄市から高校のある那覇まで、両親がたまに送ってくれていたので、車の中では聞いたことがあったんですけど、まぁ、それぐらいのレベル。敢えて聞こうみたいな感覚はなく。9月に採用が決まって、1月から喋らないといけない、でも、今は東京に住んでいる。引っ越し準備でいっぱい。(沖縄に)帰ってきたのが12月25日ぐらいだったんですよ。ラジオ聞く時間がないんですよね(笑)でも2日ぐらい、私が喋るラジオ局を聞かないと!と思って聞いたら、(ゴールデンアワーの)前にやっていた番組のパーソナリティがもうビックリするぐらい泣いているんですよ!やばい!このあとに喋るんだ!!!と思ったら、もうプレッシャーみたいな。それぐらい、正直、聞いてなかったです。だからラジオの仕組みとか、ラジオとリスナーとパーソナリティとかの関係性とかも全くわからず、飛び込んだのが現状でした。

 

最初は週1でした?

糸数: 最初、私は月~金の“金曜日の女”だったので(笑)最初、アナウンサー志望だったし、メディアで喋るってことは、なんかこう真面目な、綺麗な日本語で喋らないといけない、ニュースを的確に、みたいなイメージしかなかったから。ポンってスタジオに入って、フリートークって言われても「うん?どうしよう」ってなって、ちゃんと喋らんといかんから、猫も被るし、全然自分の思い通りに喋れなくて、ヤキモキして1ヵ月が過ぎて。とりあえず時間をこなす、生放送をどうにか事故のないように過ごすっていう事しか考えてなかったんですけど、少しずつ視界が明るくなってきるんですよ、慣れてくると(笑)それから、どんどん化けの皮が剥がれてくるというか。ラジオって特に生放送だと、素の自分がどんどん出てくるんですよね。頑張っても、どうせ剝がれるんだったらいいや!と思って(笑)そうしたら、それが思いのほかリスナーさんに受けて、そこから少しずつ曜日が増えて、今は、月~金で担当させてもらっています。

 

月~金の担当になったのはいつからか覚えていますか?

糸数: どれくらいかな~?番組が始まって2年ぐらい経ってからですかね?まさかって感じだったんですけど。ただ、性格的に負けず嫌いなのと、ガツガツ行くタイプなので、もう、どけどけどけーー!!みたいな(笑)本当にがむしゃらでした、この時は。ラジオの仕事しかなかったので、最初はカフェでアルバイトをしたりしていて、まぁ、実家暮らしだったので、そんなにお金を気にする必要はなかったんですけど、“どうしよう、今後”って思っていた時に、ラジオの中で、パーソナリティなので局アナではないので、言ったら別の仕事もできる。そこから、今CMで起用してもらっている企業さんから声をかけて頂いて、タレント業がスタートしていったんですよ。だから私の今のキャリアのきっかけは、すべてラジオからなんですよね。こういう働き方もあるんだ!楽しいなぁ、面白いなぁ!って。

やっていて楽しい瞬間って、どういう時ですか?

糸数: 特にラジオをやっていて楽しい瞬間は、幸三さん然り、一緒に喋っている人と、一瞬まわりの壁が見えなくなる時があるんですよ!そのときに、あ、“今、自分とっても興奮してるな”って!(笑いながら)変な意味じゃないですよ!!この、ワサワサしているというか、凄い、アドレナリンがめっちゃ出てるなぁみたいな瞬間が。全く、このへんが見えなくなります。だから、はっ!違う違う違う!これ、電波に乗ってるんだ!!みたいな時はありますね。

 

番組を聞いていて、めちゃめちゃ面白いなって思うんですけど(笑)別に、お笑いを目指していたとか、そういうわけでは?

糸数: 全くないです!(笑)ただ、お笑いは好きなので、よく、バラエティ番組も見てるし、未だにアメトーーク!とか、ひな壇芸人のツッコミを見て、今のは凄いな!とか、ちょっと勉強になったり、まぁ半分は楽しんでるけど(笑)活かすというか、まぁ、芸人じゃないのであれですけど!そのカテゴリにはいれられたりしますけど(笑)面白いほうがいいでしょって。

 

お母さんも、そういう面白い人なんですか?

糸数: うちの父親も母親もお喋りですね。特に母親は。お酒飲んでなくても、ずーっと喋ってます!

 

じゃあ、それはもう糸数家の芸風?(笑)

糸数: そう!芸風です!はい。急にスイッチが入ったかのように、家族みんなで踊りだしたりとか(笑)そういうのがあったりするので。割と明るい家庭だと思います。周り近所の人…って周り全員、親族なんですけど、うるさかったんじゃないかな(笑)

 

ご親族の中でも、特別にそこが賑やか?

糸数: 特に母親方の伯母さんたち、うちの母親は7人兄弟なんですけど、伯母さんたちも、まぁお喋りで、お盆やお正月に集まった時には、誰が一番お喋りで目立つか、バトルが始まるくらい。常に、掛け合いで、わーわーわーわー!て(笑)

 

出身は八重山じゃないんですよね?沖縄市なんですよね?

糸数: はい、沖縄市なんです。うちの母親はうるま市なんですけど、まぁ沖縄の中部ですね。まわりの友達にも「お前、いつもと変わらなさすぎだけど、大丈夫か?」って言われたりするんですけど、怒られなきゃいいんじゃない?みたいな。特にこのゴールデンアワーに関して言うと、私が楽しまないと、それが連鎖しないので、間違いなく。声だけで伝えるから、私のちょっとした変化にも、すぐ気づくんですよね、リスナーさんて。ちょっと機嫌が悪いとか、寝不足とか。何なら、好きな人ができたな、デートしてるな、とか、すぐバレるみたいで(笑)私が、ある異性の人とデートをしているときに、その人の知り合いの同僚が、ラジオのファンで「ミキトニー、最近あれ、ヌーガラ恋しているやっさー!って言ってたらしいよ!凄いね!」って聞いたときはビックリしました。

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