top of page

藤田優一さんinterview ③

時間が変われば、見えるものが違う。
それを伝えればいい…。

制作のスタッフとのやりとりで印象に残っていることはありますか?

たくさんあるけれど、最初に入ったブリーズのスタッフの皆さん、万里香さんもそうだし、Oさんとか、Mさんとか、パーソナリティーの池田恭子さんとか北島さんもそうなんだけど、みんなにすごく支えられて。特にプロデューサーの松澤さんは怖い人だって、TBSラジオ時代のことを知る人から聞いて。確かに、松澤さん、ずばっと、すぱっと、だめなものはだめって言うところはあって、その怖さはあったけど、僕のことは孫みたいなかんじだったのかなあ。頭ごなしに怒るということはなくて「いいですよ。今日はよかったですよ」「でももうちょっとこうするといいですね」って言葉ひとつひとつをわかりやすく表現する方法を教えてくれて。たとえば、ココアを購入しました、ワインを購入しました。と言ったら、「購入」じゃなくて、「買った」って言った方がいいよとか。

 

ディレクターのOさんからは、「レポートは動かなくていいんだよ、別に。駅前にずっといたっていいんだよ。そのかわり、9時と12時だと見えるものが違うだろ。歩いている人も変わるだろうし、香ってくる匂いだって違うものがあるから、そういうものをお前が伝えてくれれば、わざわざ遠くに行かなくてもいいし、お金をかける必要もない」って。ああそうなんだ!と。なんとなくレポーターって、必ず美味しいお店に行かなくちゃいけない、とか、必ず何かネタや目立つトピックを出さなくちゃいけない、という思考だったんだけど。そうか、街角レポートって、街の風をね、スタジオにいるパーソナリティとか聴いてる人に伝えるんだ、っていうのはそこで思って気負わなくなった。小さなものでも、自分がそこに感動できれば、伝えられる。

 

初期のスタッフ全員には、頭が上がらないというか、感謝だなあ。僕は会社勤めをしていないので、社会の常識も乏しかったと思うし。Oさんには、食事の場で「お前が食わないと他のメンバーが食えないだろ」とか言われたりして。最初の頃、イベントの打ち上げのときに、最後の最後に箸をつけようとして「いいんだよ、しゃべり手は先に食え。そうじゃないとADとか他のメンバーが食いづらいだろ」と。そうか、そうなのかと。

 

藤田くん、遠慮しちゃうタイプだものね(笑)これまで20年近くレポーターをやっていて、辞めたいと思ったことは…?

ある。直近だと震災のとき。「僕、こんなことやっていていいのかなぁ」と思った瞬間があった。無力だな、どうもできない。本当にこんな風に能天気に街角のことをやっていてもいいのかな、そろそろ辞めたほうがいいのかも、とよぎったりした。あとは、若手がでてきた時。いつまでも年配の人が残っているのはよくないかなぁと思った。自分が三十代後半に入ってから、そんな考えがよぎることがあった。

 

その震災のときの気持ちはどう折り合いをつけたの?

そういう風に思った部分とそれでも楽しみに聴いてくれている人がいる、役に立つんだ、震災をきっかけにラジオを聴くようになった人もいるし、存在価値がないわけじゃないんだって思える部分があったから。震災で非日常な瞬間があったけど、なんとかみんな日常に戻りたかったわけじゃない!? であるならば、僕らの番組がそういう日常のスタンスを続けて、いち早く日常に戻れば聴いている人も戻りやすいのかなとか。少しでも“がんばろう”とか“またラジオを楽しく聴けるようにならないとね”と思ってもらえるようならいいかなと。あとは、いろんな人が、会いにきてくれたりとか、そういうことも力になった。ま、もちろん自分の生活がかかっているのもリアルにあるけど。とにかく今はできることを無理せずやっていこうと。別にレポートで悪口を言っているわけでもないし、神奈川のいいところ、四季折々感じること、みんなの心が少しでも豊かになるようにとか、暖かい気持ちになるように、と伝える人間が、一人、二人いてもいいだろう、と。もうちょっとがんばってみようかな、というそんな感じかなあ。

 

レポーターの先輩を見れば、毒蝮さんみたいに本当にず~っと続けている人もいるけれども、若手が出てきたということについて、今、どういう想いが…

若い人には若い人のパワー、勢いがある、タフだし。僕にはレポーターを始めた23歳のころのパワーは間違いなくない。でもそれは出会ったものとか経験で補っている。若い人がくるのはいいと思うし、どんどんがんばって欲しいと思う。自分が去るべきなのかとよぎったこともあるけど、今はあんまりそこまで強くは思ってなくて、若い人には若い人のやり方があるだろうし、ファンがつく人もいるだろうし。でもずっと番組を楽しみに聴いて年を重ねた人もいるから、その人たちが安心して聴けるようなレポーターもひとりくらいいてもいいかなーという気持ちがある。大先輩のね、毒蝮さんがいるからまだ僕がマックスなわけではない。それでもFM業界だとかなり古株かも、レポート一本でやっているのはそうとう古株かもしれないけど、まぁ切り開いていってもいいかな、と最近は思うようになった。

 

今やたくさんのリスナーが藤田くんの顔を知ってます。その不自由さはありますか

若いころは、その不自由さを感じたこともあった。えー、なんでー、みたいな。「電車でマンガ読んでましたよね!」とか「赤信号で歩きましたよね!?」とか。でも、そういうのも全部ひっくるめてこの仕事なんだなって。先輩やいろんな人に“それは有名税だよ”って言われたりしても前はピンときてなかったんだけど、年月?年をとったことで納得できたというか…。でもそういう部分もあるけど、逆に知られているからこそ、声をかけてくれたり、美味しいお店を教えてくれたり。魚屋さんのおじさんが、“お、マグロ、ちょっと安くしとくよ”みたいなこととか。些細なことなんだけど、持ちつ持たれつというか、そのバランス? “わぁ、そんなの見てるんだー”という部分もあったけど、そういうよいところもあるし、トータルでのものかと思う。だからあんまりもうその辺は気にならなくて、むしろこれだけ面が割れているとそれはそれで面白いな、みたいな。


街角レポーター、藤田優一くんの七つ道具のひとつが、なんとタワシ!これでレポートに磨きをかける?! いえ、そういうわけではないようでお守りとなっているそうです。さて続いては、ラジオの今後、そして、藤田くんの今後の夢などを伺います。

 

© 2015 by Shiho Watanabe, Proudly created with Wix.com

bottom of page