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母の「手に職を!」からはじまった…
 

もともと、ラジオっ子でしたか?

ラジオっ子ではなかったんです。すみません。

 

おうちでも全く聴いていなかったんですか?

母親が聴いていたり、子どもの頃に自分で合わせて、ちょっと聴いたことがあるんですけど、ある局をすごくひいきにして聴いていたわけじゃなくて、なにか音楽がかからないかなというので聴いた、というのですかね。

 

それは藤田くんが?お母さんが?

僕が。母親が聴いていて、“あ、ラジオはこういうふうに聴けるんだ”ということで、自分でステレオを動かして聴いた、っていう。

 

どこかの特定の番組のファンというわけではなく…

ないですね。よく勉強中に聴いたりとか、みんなラジオに思い出があると言うんですけど、僕は漠然と聴き流していたというか音楽を聴いていたというかんじですね。

 

ラジオに入ったきっかけを教えてください。

23歳の時、最初に入った事務所の同期の女の子がFMヨコハマのレポーターをやっていて優秀なレポーターだったんですね。そんな彼女がいる事務所だからと「THE BREEZE (以下、ブリーズ)という番組を立ち上げるのでオーディションを受けに来てください」と声がかかったんです。で、事務所が“お前は受けたほうがいい”と。お前は横浜生まれで横浜育ちだからいいんじゃないか、横浜のことわかるだろうと言われて。それで受けてその時は落ちちゃったんですけど…。ブリーズは4月にスタートして半年間別のレポーターがいました。半年後そのレポーターさんがやめられるにあたって、もう一度募集するということでもう一回受けたんです。それで受かったというか話がつながったというか。2度目のオーディションを受けて受かって、ここまで来ました。

 

そもそも事務所に入った理由は…?

母親に「これからの時代は職人の時代だ」と言われたんですね。「手に職を持て」と言われて。えー?!と思いました。手に職って、大工さんにでもならなくちゃいけないのかなと。高校時代の話ですから知識が乏しかったのかもしれないですけれど。家つくるの自信ないしなあ、手に職かあ、と思った時に、子どもの頃からおしゃべりなうるさい子だったんです。声変わりするのも遅くて、いつもキンキン声で一オクターブ下げろって怒られるくらい近所でも有名なにぎやかな子だった。学校でも、口から生まれた子、なんて呼ばれるくらい。今はしゃべる仕事をしているので、その反動なのかおとなしくなっちゃったんですけど。当時はよくしゃべっていたんで、はたと思って、口に職って持てるんじゃないかなあ、これは天職じゃないかなと思って、高校時代の友人にしゃべる仕事って何かできないかな、そういう職業ってないのかなと聞いたんです。そしたら友達が、アニメの声優さんじゃない?あとはニュースのアナウンサーとか。その時思ったのが、ああそういうのできたらいいなあと。声優になれたら毎日アニメ見られるなあ、というそういう浅はかな考え(笑)。で、友達がオーディション雑誌とかを持ってきてくれて、これに応募が載ってるよと。それで、じゃあこれで行こう、サラリーマンじゃないな、と思って高校を卒業した後にオーディションを受けたのがはじまり。

 

もともと国語の教科書を読むのは好きだったんです。でも、学生時代って“国語の教科書読みたい”なんて手をあげるとおかしいじゃない?なので自分から率先して手をあげる子じゃなかったんだけど、“先生、僕は読めます”なんて感じで、目で訴えたりしていたんです。読むのは好きだったんです。祖母や母が子どもの頃に読み聞かせをしてくれたからかな。読み聞かせをして寝かしつけてくれていたから。「北風と太陽」とか「グリム童話」とか春夏秋冬で4巻あって、それぞれ、春には春の話、冬には冬の話。そういうのを読んでくれていたからかなあ。

 

藤田優一さんinterview ①

街角レポーター、藤田優一くんとは、7年近く、ザ・ブリーズで一緒にお仕事させてもらいました。レポートの時以外は、会議などでもいつも言葉少なめ。それがうるさいくらいの少年だったとは驚きました…。さて続いては、リスナーさんたちとの出会いについて伺います。

 

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