The miracle stories on the Radio
松澤良昌さんinterview ③
外からの中継を大切にするのは、
リスナーの顔がわかるからですよ…

TBSラジオ時代の番組から生まれた本。ぬくもりが伝わってくる(コピー)
― 松澤さんが尊敬するラジオ人はいらっしゃいますか?
(松) うーん…。作り方を尊敬する人というのはいないね。「僕の前に道はない、僕の
後に道ができた」(笑)。そういう世代だった。ただね、ミキサー時代から、「まっちゃんは何かあるよ」と声をかけ続けてくれたディレクターはいたね。「ちょっと、コレ書いてみない?」とか、ずいぶん世話になった人がいる。
― 松澤さんの才能を感じてた方がいたんですね。
(松) 才能というよりも、その人の才能と僕が合ったんでしょうね。その人が、
「ラジオ・スケッチやってみない?まっちゃんならできるよ」って声かけてくれたの。「ラジオ・スケッチ」というのは、エリート中のエリートが作る番組だったの。
― 「ラジオ・スケッチ」を簡単にご紹介いただけますか?
(松) 15分間の録音構成。ナレーションと現場の音で作る番組で、その時代その時代の
側面をえぐるような番組。政治でも、経済でも、流行でもいい。今の時代の番組だな、という感じ。でもそれは、ディレクターは一週間に一本しかできないわけ。あまりにも効率が悪いのでなくなっちゃったけどね。でも、ラジオ・スケッチみたいな番組を、週にいっぺんでもいいから、2、3人のディレクターに一年作らせるとものすごく実力がつく。原稿もかけるし、編集の仕方もわかるし。今そんな番組ないでしょ。ディレクター教育できてないよね。ディレクター教育できるプロデューサーがいないね。だからブリーズ(FMヨコハマ)の時代なんて、まあ、いい方ですよ。あれは。藤田君が外回りしてるから、ちゃんと。
― 松澤さんが注目している番組、しゃべり手さんはいますか?
(松) 最近あんまりないな。もう年だから、あんまり聞いてないからね。年取ってるけど、やっぱり近石真介さんがいいね。今でもテレビ番組の「はじめてのおつかい」のナレーションやってますよ。パーソナリティとしては一番いいと思う。人の心をひゅっとつかんじゃう人。
― リスナーの心をつかむパーソナリティはどんな風に見つけたんでしょう?
(松) 近石真介さんは、別の番組で使ったことがあるの。近石さんが一番リスナーからのリアクションがいいわけ。で、それで使ったわけ。で、蝮(毒蝮三太夫)さんはね、「松澤さん、変な素っ頓狂に面白いやつがいますよ」と若手のディレクターに言われて、ミュージック・プレゼントに使ったわけ。それから愛川欽也さんはね、蝮さんと近石さんが、「松澤さん、素っ頓狂におかしなやつがいるけど会ってみませんか?」と言われて会ったの。見城美枝子はね、いろんな女性と愛川欽也さんをしゃべらせたわけ。で、最後に欽也さんに「誰がいい?」と聞いたらね、「見城美枝子さんがあったかくて一番いいと思います」って言ったの。でも、アナウンス室は、「まっちゃん、見城美枝子はバカだからやめたほうがいい」って言うわけ。「なんでバカなの?」と聞いたら、「“お聞きの放送はラジオ東京です。JOQR”って二回言ってたんだから。本当は、JOKRなのに」と。でも、彼女は僕の放研の後輩でもあるわけ。で、ディレクターの一人が企画会議の時にね、「見城美枝子って、松澤さんの後輩でしょ。松澤さんの背中を祈るような顔で眺めてましたよ」「そうか?」って、そこまで言うなら、、、と。全部嘘だと思うけど(笑)
― 先ほど、愛川欽也さんの番組は原稿がなかったとおっしゃっていましたけど、構成はあったんですか?
(松) そう。例えば1時半からここまでは「毎日がベスト5」で、3時からは「ミュージックキャラバン」。何分と何分にはCMが入ります。それから4時になったら「あなた、出番です」。これは、「電話の前で金だらい叩ける人、すぐやってください」とか。「昨日大喧嘩して、亭主といまだに口聞いていない人、電話ください」とかインタビューするだけ。それを書くだけ。キューシートだけです。
― それは、ある意味…、楽ですね(笑)
(松) 楽なんですよ。前の日は30分あれば選曲をふくめて全部できちゃうわけ。簡単
なんです。
― 松澤さん、“鬼の松澤”と言われてたっという噂を聞いたんですけど…。
(松) 本人は思ってないよ、そんなこと。いや、おれ、あっちこっちで怒鳴り飛ばしているかもしれない、ディレクターのことも。あ!キャスタードライバーは怒鳴り飛ばしたね。だって、あれ生放送だったからね。「なんだよ、今のよくわかんないじゃないかよ!こうやんないとダメだよ」その次に、「今度は良かったよ。素晴らしく良かったよ」とかって。年中怒鳴ってました。だからね、番組が終わって編集室に泣きながら入ってくる女性がいて、「どうしたの?」と聞くと、「さっき怒られました~」「悪かったねー」って。キャスターに関しては、怒鳴りまくってましたね。だって、次、良くなきゃしようがないものね。でも、怒鳴ってる声が混線して生放送された時は困ったね!
― あんまりブリーズ(FMヨコハマ)のときは、松澤さんに怒られなかったですが…
(松) あそこでは僕はキューふらなかったものね。でも、ブリーズのときは、北島くん
(ブリーズのパーソナリティ)ってできてるもんね。だから、怒鳴ることなかったし、藤田くんもできてるからね、あんまりイライラしなかったね、ブリーズは。僕が企画、構成した通り見事にやってくれた。
― イライラする時ってなにかがあって…
(松) そう。「違う!」と。リスナーが「違う」と思ってることは、俺も「違う」と思うし。リスナーが「なんだ?」と思うと、今、説明が足りないと。だから、自分がリスナーにならないとダメ。大沢悠里さんは、リスナーをわかってるね。リスナーをわかってる番組は、レーティングが高い。我々の世代がスタートさせた番組のパーソナリティは、今、若い連中を教育してるんじゃないかな。成功したプロデューサーがいなくなると、がたがたっと悪くなる。今、ローカル局でいいのは、山梨放送のラジオね。あと、北日本放送、富山。これはいいね。他もいいところあるんでしょうけど、あんまり耳に入ってこない。
長年作り続けてきたラジオ、その面白さとは…
― 松澤さんにとって、ラジオの面白さってどういうところですか?
(松) 生放送で「ああ、リスナー喜んでいるんだろうなー」「わかるなー」とじわじわじわっと波みたいなものが生スタジオへ来るんですよ。自分自身が感じて、同時に、リスナーが感じて、じわじわじわっとくると、やめられないね、それ。じわじわじわっというのを経験していないディレクター、プロデューサーが、多いんじゃないですか、たぶん。経験したことある?
― あります。ブリーズをやっている時に、不思議と、リスナーの集中力がぐわーっと集まってくる感じがわかる時がありました。
(松) それ、本物なんです。
― あれって、不思議な現象ですよね。
(松) それは、舞台の役者が客席からぐーっと来るのと同じですよ。心理の波がわーっとくるんですよ。電波でもないし、なんでもない、ただ、わーっと来るんですよ。それが面白かった。年に一回あるかないかですけどね。
― では、リスナーを喜ばせて、一緒に盛り上がるのが楽しかったんですね。
(松) そうそう。僕はね、「リスナーより俺のほうが上だな」と思うことはなんにもないね。だって、音楽なんて、リスナーの方がよっぽど知ってるしね。
― 遊び心がある仕掛けを考えるのがお好きだったんですかね…?
(松) 僕、技術出身じゃない。だから、技術的にできる、できないというのが判断ができたんだよね。愛川欽也と見城美枝子をヨットに乗せて、葉山から江ノ島まで3時間生中継したことがある。簡単にできちゃうんだよね。鎌倉のゴルフ場のクラブハウスの屋上を借りて、そこでヨットからの電波を受けて、そこから本社にまた送ってね。でね、番組の最初の曲を「錨をあげて」っていう曲にしろって言ったわけ。そしたら間違えやがって。わけのわからない曲がでて、本社に電話して「バカやろう!曲が違うじゃねーか。“錨をあげて”じゃないと意味がねーじゃないか」って。そんなことがありましたね。
ー 松澤さんの「いい!」「良くない」というゆるぎない判断は、いつ培われたものなんですか?
(松) なんなんだろうな。自分がいいと思った番組は、レーティングが高かったからね。結果がついてきたから、自信をもった。小さな局じゃ、年にいっぺんくらいしかレーティングやらないじゃない、そういうところだと無理でしょうけどね。TBSあたりだと、今、2ヶ月にいっぺんくらい取ってるんじゃないかな。レーティング、しょっちゅう取ってる局はそういうのができますよね。
― あらためてラジオ業界の後輩に伝えておきたいことは…
(松) 自分の好きな番組を作るな。リスナーの好きな番組を作れ。リスナーの実態をよく知れ。僕、生ワイドに必ずレポーターを使います。ディレクターは、一日レポーターに付いてまわってみろ。えっ、と思うようなことがいっぱいありますよ。自分自身がリスナーの感性をもたないとラジオはできません。